とくし丸
note

とくし丸創業日記とくし丸創業日記

【第二創業日記・No.31】

2012年1月31日

後、44件で目標の400件。

なかなか大変な作業ではあったが、何とか目処がたってきた。どーにかなりそうである。もちろん今、気を抜いてはいけない。目標達成まで、走り抜けなければ。
夜、久しぶりに髪を切りに、東船場のjamくんちへ。今までなら​、平日の昼間にゆっくり行ってたのに。今は夜、しかも無理して時間を取って行くしかない。そういえば、長らく映画も見に行ってない。ヒミズは是非見たい一作だ。レイトショーでも見に行くか。

明日、雨さえ降らなければ400達成できると思うのだが。ま、とにかく、明日も歩こう。

【第二創業日記・No.30】

2012年1月30日

今日の成果、91件。

昨日まで4日間で200件少々の成果だったから、1日平均50件ほどの計算になる。が、今日はとても好成績だった。

「助かるわ~。ぜひ来てね」が、◎。
「来てくれたら覗いてみるわ」が、〇。
「うちには用ないわ」が、×。

成果数は、この◎と〇の数である。今日で、約300件のお宅が「​来てくれて、いいよ~」と言ってくれたわけだ。回れば回るだけ、​潜在需要が明らかになってくる。しかも、本当に待ってくれてる人たちがいることに気付く。
やっぱり「とくし丸」は間違いではなかったと思う。対象地区、約​7500世帯で、400件は間違いないだろう。ほぼ5%の方々が​、「とくし丸」の対象者だ。
とても乱暴な計算をしてしまうと、徳島県下25万世帯×0.05​=12,500世帯に需要があるわけだ。

もちろんコレは机上論であり、実際の収支が合うのかどーかは、実際にやってみないと分からない。が、少なくとも「求めてる人はいる」ということだけは確かだ。「とくし丸」が事業として成立するかどーかというより、求められているところに飛び込んでいくこと​が重要なのだ。

世間は冷たい。世の中は厳しい。でも、求められているなら、必ず事業は成立するはずだ。大儲けできなくても、人に喜ばれて仕事が成立するなら、それだけで事業を立ち上げた意義はある。

明日も歩こう。求めてくれる人を探して、とにかく、歩こう。

【第二創業日記・No.29】

2012年1月29日

徳島大学病院・西病棟1階にある「ギャラリーbe」の展示作品入れ替え日。

ここのギャラリーは、武蔵野美術大学教授であり、世界的プロダクトデザイナーである深澤直人さんにお願いして作っていただいたギャラリーである。最初の立ち上げに関わったいきさつ上、今もボランティアでキュレーター(学芸員)のようなお手伝いをさせてもら​っている。

昨日までは、深澤さんの授業で、学生達が作った作品が展示してあったが、2月1日から、徳島在住の「クレイマーズ」さんの作品展に替わる。クレイ(粘土)を使った、とてもカワイらしいミニチュア・アートである。きっと、患者さんや付き添いの方々の気持ちを和ませてくれることだろう。

そして、今日。徳島市北島町にある「ギャラリーなごみ」でやっていた「矢野祐志と、その弟子たち展」も最終日。僕が出していた焼物も、どーやらほとんど売れたらしい。ほんとは手元に残しておきたい作品ばかりだったのだが、ま、せっかくの作品展だから、お安​く売らせていただいた。買っていただいた方々に感謝。でも、大事に使ってね。

と、まったく何をやっているのか? 

いやいや、四六時中「とくし丸」のことは考え続けている。しかし、どーしてもやらなきゃいけないことも沢山あるのだ。
そうそう、4月には、中村敦夫さんたちとチェルノブイリに行ってこようと思っている。「25年後の東北、日本を見るために」である。25年後、僕もたぶん生きてはいないだろう。原発事故から25年経ったチェルノブイリが、今どうなっているのか? ぜひこの​目で肌で確認しておきたいと思うのだ。

【第二創業日記・No.27・28】

2012年1月27・28日

スタッフの1人が、さっそくホームページを作ってくれた。

「資金が少ないんですから、お金をかけずに作りましょう」と、素人なのに、無料サイトを早々と作り上げてくれた。
この経営者感覚、素晴らしい! 「経費は最小に、売り上げは最大に」と教えてくれたのは、稲盛和夫さんである。まさに、その言葉​をそのままに実行してくれた。
「もちろん、利益が出たら、ちゃんとプロに作り直してもらいましょうね」という、これまたしっかり見識のあるお言葉付きだったので、僕も納得。ほんと、いつもながら僕は人に恵まれてるなと、つくづく感じる。

今ある、人材、資金、ノウハウで、最大限のことをやっていけば、必ず先が見えてくるはずだ。現時点では、このホームページがベストなのである。いろいろ不備はあったとしても、僕にとっては自慢のサイトなのだ。

【第二創業日記・No.26】

2012年1月26日

一軒ずつあいさつ回り。

「まさかね、そこまでやるかね」というような、地道な作業が連日続く。「でもね、だからね、やるんだよね」なのである。

確実に、数十件に一軒、「移動スーパーが来てくれたら、ほんまありがたいわ~」という方々が、いる。その方々にアクセスするには、マス広告ではないのだ。超アナログのアクセス方法しかないのだ​。

もちろん新聞折込広告は入れた。が、あちらから連絡をいただけると考えたらお~間違いなのである。人と人が直接顔を合わせ、会話をして、初めてちゃんとした情報が伝わるのだ。

よくぞスタッフの皆さんが、この、まさに「地を這うような」作業をこなしてくれるものだと、心から感謝している。しかも、みんなどこかでソレを楽しんですらいてくれる。ありがたい。
何が何でも報いねばならぬ、と強く思う。いや、思うだけではない​、そーするのだ。

配布地域は、超限定なので、参考までにその配布ちらしをアップしておこう。もったいないので、今日はその表面だけにしておく。

コレ、だ。

写真

【第二創業日記・No.25】

2012年1月25日

新事務所に帰ってきた。

朝から、ずーーーっと、販売エリアを歩いて、1軒ずつお宅訪問してたのだ。まるで、選挙活動のようである。自分でも「よくやるよ​」と思う。が、稲盛和夫さんも言っていた。「人のやらない努力をせよ」と。「落ち穂拾い」のような作業だけれど、必ずやこれが力​になるはずだ。

「あわわ」創刊の時も、書店さんから販売拒否されたり、お店から取材拒否されたりは当たり前のことだった。世間は「実績」をあげない限り認めてくれないのだ。受け入れてくれない世間を恨む前に​、受け入れてもらえない自分の力を恨むしかない。
絶対に、認めてもらえる「とくし丸」に仕上げてみせる。

で、今、新事務所。

何と、その場所は、「あわわ4階」なのであった。

もちろん、「とくし丸」が、ちゃんとお家賃をお支払いしての入居である。まさか8年以上も経って、この場所にもう一度座ることになるなんて。筋書きが読めないから「面白い」のだなぁと、つくづく感じる。

【第二創業日記・No.24】

2012年1月24日

昨日は、ソートー落ち込んだ。

なんと、すべてのスケジュール、大切情報満載のシステムノートが​、どっかに行ってしまったのだ。コテコテの二日酔いのせいか、お引っ越しの混乱のせいか? とにかく、ドーヨーの仕方は半端ではなかった。
もしかしたら、羽田空港で荷物チェックで引っかかった時に、そのまま置き忘れてきたのではないかと思い、羽田まで問合せをいれたほどだ。

が、結局、今日の朝。車の座席の間から現れた。昨日、あれほど探しまくったのに。その時は、そんなとこになかったはずなのに。
ま、でも、あったのだ。何とも印象深いお引っ越しの、1月23日であった。

今日は「とくし丸」協力者6名で、最初の販売エリア予定地区の、​ベタ歩きを敢行した。寒気の中、とにかく全員が一生懸命回った。とても心強いメンバーばかりだ。この気持ちと勢いがあれば、絶対に壁は乗り越えられる。

仕事って、やっぱり現場だよな。理屈こねてる暇があったら、とにかく動け!ということだ。動いて初めて分かること、気付くことがたくさんある。その積み重ねが実績に繋がっていくのだ。汗をかいて、身体を動かして、頭をフル回転させて、悩んで、苦しんで、工​夫して、知恵を絞って、そしてどーにか目標に辿り着くのだ。

楽して稼ごう、なんてとんでもない。やった分だけ報酬が返ってくればいいのだ。

【第二創業日記・No.22/23】

2012年1月22・23日

姫野雅義著の「第十堰日誌」出版記念パーティー。

カヌーイストで作家の野田知佑さんや、元新潟大学教授の大熊先生もわざわざ出席してくれた。出席できなかった、中村敦夫さんや、板東孝明くんからはメッセージが送られてきた。
住民投票に関わった懐かしいメンバーにもたくさん会えて、手作りのパーティーは大いに盛り上がったのである。

本は、作ることが目的ではない。これを読んでもらうことが目的なのだ。姫野さんの息遣いを感じながら、姫野さんの思ったこと、考えたこと、怒ったこと、泣いたことを、ぜひ読んでもらいたい。

さて、今日は朝から引越しだ。

寅家の寅ちゃん、住民投票メンバーの折野さん、あわわ初期スタッフのヨーコちゃんらの協力を得て、一気に片付けよう。

奇しくも今日は、1月23日、である。

「とくし丸」の門出に、これほど相応しい日はない。

【第二創業日記・No.21】

2012年1月21日

昨日、一昨日は、ケータイからだったし酔っ払ってたしで、短めになった。で、追加。

日本ペンクラブでは、「環境委員会」「平和委員会」の委員の方々の前で、しっかり「原発国民投票」の説明をしてきた。反応は、思った以上に良く、会長である浅田次郎さんの他にも数名の方々が賛同人の意思表示をしてくれた。暫定とはいえ、代表の役目を少しで​も果たせたのではないかと、少しホッとする。

雪の降る中、渋谷駅前で、「原発国民投票」のメンバーが署名集めをしていたので、陣中見舞い。2月9日までに30万筆の署名を集めるべく、頑張っている。徳島からできることに限りはあるけど、せめて東京に住む知り合いにメールして、署名集めをやっているこ​とだけでもお知らせしよう。

カタログハウスでは、「通販生活」の編集長に、姫野雅義さんの「​第十堰日誌」を手渡し、書評に掲載してもらうようお願いしてきた​。以前「あわわのあはは」を大きく取り上げてくれたことがあり、その反響の大きさは実体験済みである。

明日は、アスティ徳島で、「第十堰日誌・出版記念パーティー」である。
明後日は、いよいよ事務所のお引越しだ。
新しい(?)事務所に移ったら、より本格的に「とくし丸」がスタートすることになるだろう。

「どこに引越しするのか?」

それは、近々、発表しようと思うが、たぶん誰も予測不可能な、意外な場所に決まっているのだ。

【第二創業日記・No.20】

2012年1月20日

カタログハウスの斉藤さんは、とても魅力的だ。その内きっと、とくし丸を通販生活で記事にしていただけるはずだ。来て良かった。
夜、久しぶりにタウン情報ネットワークのメンバーとの同窓会。美味しいお酒を飲んだ。

とくし丸の仕組みを、ぜひ全国に広めたい。
まずは、足元から成功させなけければ。

【第二創業日記・No.19】

2012年1月19日

ふー、酔っ払っちゃいました。中村敦夫さんと、ずーと飲んでました。日本ペンクラブの環境委員会。隣には、尊敬するDASJAP​ANの編集長・広河さんがいるし、会長の浅田次郎さんがいるし。でも、しっかり浅田さんに、原発国民投票の賛同人になってもらいました。明日は、カタログハウスの斉藤さんに面会。

やっぱり、トーキョーは、面白い!

【第二創業日記・No.18】

2012年1月18日

とくし丸・軽トラックのデザインは、なかなかかわいい。とても素敵だ。すごく気に入っている。評判もめちゃくちゃいい。さすが藤本孝明さんのデザインである。画面にあるお野菜やらお魚やら雑貨やらは、すべて1点ずつ、藤本さんが丁寧に描いてくれたイラストだ。

注意深く見ていただくとわかるのだが、運転席と助手席のドアに、それぞれキャラクターの「とくし君」と「丸ちゃん」まで描かれている。

「とくし丸」のネーミングといい、キャラクター設定といい、実に「ベタ」な作りかもしれないが、まさにこの「ベタ」さを目指しているのだ。

明日からトーキョー、だ。

引っ越し準備も全くと言っていいほどできてないけど、ま、どーにかなるだろう。

写真

【第二創業日記・No.17】

2012年1月17日

引越し準備。

安藤忠雄、徳島唯一の建築物であるWITHビルに入居して、いつの間にか5年が過ぎた。こんなに長居するとは思ってもなかったけど、やっぱりココのビルは本当に素敵だ。安藤さんが一番ノッてた​時の作品ではないだろうか。最近の、やたら大きな建築物はあまり​好きになれないが、ここWITHビルはとても魅力的だ。

来週月曜日、1月23日に事務所を引っ越す。残念ながら「株式会社とくし丸」には、今の事務所はちょっと狭すぎだ。もったいないけど、移転するしかないのである。
その下準備のため、ダンボールを届けてくれた協力者2人と一緒に​、地下1階にある「三拍子」でランチをいただく。これがまた、とても美味しい。安藤忠雄設計、スーパーポテトのインテリアという粋な空間で、細部まで気遣いの利いたランチ(900円)を食べな​がら、「とくし丸」についての議論。僕が心から信頼する2人は、何でも相談できるありがたい存在だ。

夕方、突然、某国会議員が事務所に現れる。ちょっとした相談を受けたのだが、ついでなので「とくし丸」のご紹介をさせてもらう。​「協力しますよ」と言ってもらったので、ぜひ協力してもらうことにしよう。

いろんな人たちに、いろんな協力をいただき、そして「とくし丸」はやっていくのである。

本日、文理大生の「にっぽり」に頼んでいたバッグが仕上がってきた。彼は1人でオリジナルバッグを作り、ネットで販売している。​なかなか骨のアルやつだ。しかもセンスだっていい。ぜひ購入を検討してくだされ。安くて丈夫!
http://moutom.xii.jp/​index.html

【第二創業日記・No.16】

2012年1月16日

なぜ「移動スーパー」に至ったのか? それには、こんな理由がある。

今、スーパーの超大型化&郊外化で、近所のスーパーが撤退し、日常の買い物に不自由している人たちが増えている。いわゆる「買い物難民(買い物困難者)」と呼ばれる人たちだ。経産省の統計では​、その数、全国に約600万人。もちろん高齢者比率の高い徳島で​も6万人以上と言われている。
では、その方たちは日々どうやって暮らしているか?

「食べるものを買うのは、いつもコンビニ。だから生鮮食品はあまり口にしない」
「たまに近所に住む娘に頼んで、車に乗せてもらいスーパーに連れて行ってもらう」
「この秋は、まだサンマを食べてない」
「宅配を利用するときもあるけど、やっぱり見て買いたい」
「80歳を過ぎてるけど、買い物のためにまだ車の運転を続けている。でもシンドイ」
市場ヒアリング調査を行う中で、このような声をたくさん聞かせてもらった。中には、5,000円ものタクシー代を払って、スーパ​ーまで買い物に行くというお婆さんもいたほどだ。

●ネットスーパー            年齢的にとてもついていけない。
●お弁当の宅配            1ヵ月もすると飽きてしまう。
●宅配                  注文してから届くま​でのタイムラグが不満。
●スーパーまでの送迎サービス  気を遣うし、時間を合わせるのが不便。

ここ最近、買い物困難者対策が連日のようにニュースになっているが、それぞれに弱点を抱えているようだ。そもそも「買い物」という行為は、生活の中の「お楽しみ」でもある。現物を「見て・触っ​て・感じて・選んで」初めて本来の「買い物」と言えるのではない​か。
そこで、これらの様々な問題を何とか解決できないか?と考えた結論が「移動スーパー・とくし丸」だったのだ。

玄関先まで軽トラックで出向き、会話し、買い物をしていただく。​買い物の楽しさを残しつつ、「買い物困難者」と言われる方々を支​援できればと考えている。軽トラックといえども、冷蔵庫付きの専​用車なので、生鮮食品も積み込んだそのアイテム数は、何と300​品目以上。また、買い物だけに止まらず、我々「とくし丸」のスタ​ッフが、「見守り隊」としての役目を果たすことも目指すのだ。

【第二創業日記・No.15】

2012年1月15日

「プロダクト・ライフ・サイクル」、というのがある。

商品寿命を表したものだ。
1.R&D(リサーチ&デベロップメント)期
2.導入期
3.成長期
4.成熟期
5.衰退期
Wikipediaには、1のR&D期(研究開発期)は書かれてないけど、僕が習ったのには、これが含まれていた。製品が市場に導入されるまでに費用だけが派生し、売り上げがマイナスになる期間のことである。

今、まさにこのR&D期なのである。売り上げはゼロなのに、なんだかんだで費用ばかりがかさんでいく。そして、商品が市場に投入されたすぐには売り上げが上がらず、しばらく低空飛行を続ける時期が導入期。「あわわ」を創業した頃、まさに教科書どおりの、こ​の曲線をたどった。
ブレイクスルーする成長期にたどり着けるまで、創業時の苦しさは続くのである。が、そこまで耐え忍び成長の波に乗ることができれば、一気に売り上げが上昇気流に乗っかるのである。

そう考えると、1,2年は苦労の連続だろう。もしくは、課題が山積みで、それをどう乗り越えていくか、知恵と工夫が求められ続ける。

ま、だからこそ「面白い」のである。

【第二創業日記・No.14】

2012年1月14日

プレスリリース原稿の最終仕上げ。自分で言うのもなんだが、なかなかよく出来ている。チラシの印刷仕上がりが来週末くらいだろうから、再来週からメディア回りになるだろう。でも、NHKとは受信料不払いで揉めてるから、村上君に行ってもらうことにしよう。

ココ最近、村上君は、加茂地区を一軒ずつ訪問して、移動スーパーの需要調査に入ってくれている。とても好感触を得ているらしい。​地道な活動だけれど、これからの事業には絶対に欠かせない作業である。
彼にも苦労をかけるが、夢を実現するには「苦労」と感じなていない、と信じている。

「思考は現実化する」

もう20年以上前、収入もまともになかった頃、ナポレオン・ヒルの「成功の秘訣」というカセットテープを、150万円もかけて購入したことがある。その中で常に出てきた言葉である。「まず、こうなりたい、こうありたいと思うことからしか、夢は実現しない」​ということだけ学んだ。そういえば、稲盛和夫さんも同じことを言っている。「無意識の中に刷り込まれるほど、強く思え」と。
この半年以上、「寝ても覚めても」考え続けている。この事業をどうやって成立させるか、ということを。まさに無意識の中に刷り込まれるほど考え続けている。

あわわを辞めて9年間近く、フラフラと生きていた時は、生ぬるい環境でユルユル暮らしていたが、ここ最近、カラダの細胞が覚醒してきているのが自分でも分かる。脳の処理能力が格段に上がってきている。もう少しで現役時代の感覚が取り戻せそうだ。

【第二創業日記・No.13】

2012年1月13日

FBを見て連絡をくれた「今川木材」の今川くんのソーダンに乗るため田宮へ。ちょうど昼時だったため「ふく利」で食事。何でも東京大学の教授と一緒に事業を立ち上げようと試みているらしいが、なかなか難易度高そうである。でも、今川くんは今日が誕生日で、​ちょうど30歳になったばかりだという。まだまだその若さであれば、失敗を恐れず挑戦すればいい。

もう1人、FBを見てお祝いに事務所に来てくれた「サニーエイト​」の豊岡さん。久しぶりの再開であるが、今回の僕の事業をとても気にかけてくれている。ありがたいことである。まだ誰にも見せてない販促用チラシを差し上げた。支援者として、とても心強く思う​。

夕方、登記簿謄本が届いた。そのすぐ後、某銀行融資課の方が訪問​。登記簿のコピーと、過去3年間の僕の確定申告書コピーをお渡しする。
この事業に絡む融資を「優遇してくれ」と、強く求める。まだ若い担当者ではあるが、なかなか話してて面白い。へなちょこ銀行マンでないことは確かなようだ。

TOEC(トエック)事務所で、今月22日に行われる、姫野雅義さんの「第十堰日誌・出版記念パーティー」の打ち合わせ。後、達郎とふなの3人で「寅家」へ。

本日、デザイナーの藤本さんから、軽トラックのデザイン、販促用​チラシのデザインが仕上がってきた。こちらの変更要望にも応えていただき、最終確定。近々、公開したいと思う。

ふ~、ちょっと、酔っ払った。

【第二創業日記・No.12】

2012年1月12日

今日は、新年初の「徳島農業大学校」授業の日。

昨年9月から今年の3月まで、僕は「徳農」の生徒さんなのである​。とはいっても、1週間に1回程度の授業だから、年末年始の休みとかを計算すると、授業回数は15回程度。午前中、座学をやって​、午後から実習。今日は果樹の剪定方法とロープの結び方、なんてのを習った。日本の伝統的結び方はたくさんあって、簡単そうで、これがやたらと難しい。一発で習得するのは、とても無理。午後はほとんど収穫作業。以前に僕たちが植えた、チンゲンサイ、大根、​菜の花等を収穫し、それぞれお持ち帰りさせてくれた。

「これからは必ず、農業が大切になる時代が来る!」と思って、去年の初め頃に申し込みをしてあったのだけれど、1年後の今日、創業2日目に、さっそく授業に出かけることになるなんて。
ま、しかし。決して無駄にはならないだろうし、何事も勉強だ。農業の現場を経験することも、きっと「とくし丸」に役立つことになるだろう。と、何事もいい方に考えるこの性格。

夜は、某市の市長をされてる方の自宅に伺って、市町村単位での協力が得られないものかどーか、交渉。2時間以上も話し込み、なかなか好反応だったので、「市町村長会かなんかで、ぜひプレゼンさせてください」とお願いしてみた。
どこの市町村も、「買い物困難者対策は必要だ」という認識のよう​。やはり、「時代」である。ビジネスは「早すぎても、遅すぎても失敗する」。さて、このタイミングはどんなものだろう。それも、「やってみないと分からない」。
確か、松下幸之助さんが言ってたよな。「とにかく、やってみなはれ!」なのである。

では、昨日に引き続き、ロゴその2を公開しよう。

コレだ。

写真

【第二創業日記・No.11】

2012年1月11日

今日、「株式会社とくし丸」の設立日。

ということで、出資者で役員の坂田千代子さんと、営業本部長の村上稔さん、そして彼の奥さん(とくし丸に乗る予定)の4人で「残りえびす」をいただくために、通り町の「えべっさん」へ。
天気も良くて、とても気分良かったので、お祝いにみんなで食事をすることに。もちろん、この場所であれば、「はやしのお好み焼き​」以外にあるまい。
う~ん、設立日の、お祝いの食事が「はやしのお好み焼き」とは、​なんとも「とくし丸」らしくて良いではないか。ベスト・チョイスである。みんなとっても喜んでくれた。もちろんバッチリ美味しか​った。

午後、プレスリリース用の原稿を書く。どこまで詳しく書けばよいのか、書くことがいろいろありすぎて、コンパクトにまとめるのが意外と大変。来週には、各マスコミ回りをすることにしよう。

夕方から、最初の提携先スーパーになる「ファミリー両国」さんへ​。大田社長にロゴ・デザインを見てもらった後、立田専務を中心に​、レジ機の選定作業にかかる。メーカーさんにも来ていただいて、機種説明と値段交渉。商品を確定し、その場で金沢市にある移動販売車制作の会社にレジサイズを速攻ファックスで送る。実作業がどんどん増えてくる。

さて、設立記念に、ロゴその1を公開しよう。

写真

【第二創業日記・No.10】

2012年1月10日

とくし丸

これが新しい会社の名前であり、移動スーパーのブランド名である​。「篤志丸」であり「徳島る」でもある。
ま、初めて作ったブランドが「あわわ」なのだから、こんなものなのだ。「あわわ」は「Our輪(私たちの輪)」であり「阿波和(​阿波の和)」なのであった。実は、後付けのゴーインなこじつけではあるのだが・・・。
あまりに気合いの入りすぎた名前ではなく、ちょっと気の抜けたの​ほほんとした名前が、基本的に好みなのだと思う。

画数も少なく、平仮名の柔らかさと耳障りの優しさが気に入っている。もちろん「地域ミッチャク」を意識したネーミングだ。が、デザインをお願いしている如月舎の藤本孝明さんは大変だったと思う​。いつも無理なお願いばかりを聞き入れてもらって、本当に申し訳ない。
そうそう、FBのタイトル画像として使わせてもらっている「あわわのあはは」の表紙も、「藤本孝明作」であった。

で、本日。そのロゴが仕上がってきた。イメージ・バッチリ、である。これを基本に、移動スーパーで使用するトラックのデザイン、名刺​、封筒、チラシのデザイン等を、次々こなしていただかないといけない。苦労かけるけど、創業の時は、この「熱に浮かれた感」で突き進んで行くしかないのだ。
協力者、関係者の皆様、どーか見捨てることなく、お付き合い下さい。

明日、いよいよ会社設立日となる。

【第二創業日記・No.9】

2012年1月9日

午前中、藍住町「藍の館」前にある奥村さんのお店へ、藍染め作家をしている三木立さんを紹介するためお邪魔する。藍染めの工房を見学させてもい、立さんとコラボできないかという話をするため。
立さんは、あの元総理・三木武夫さんのお孫さん。先月はミラノ作​品展を成功させ、来月はNY、再来月はパリでそれぞれ作品展を開催予定らしい。ミラノでの展示を写真で見せてもらったが、圧倒的にかっこいい。藍染めは、残念ながらもうひとつメジャーになりきれないが、こういった見せ方、演出の仕方が大切なのではないかと、つくづく思う。

以前に1点だけ作品を買わせてもらったが、野生の蚕が生み出したワイルド・シルクを使った商品は、とても繊細で本当に美しい。もはや工芸品ではなく、アートに近い印象を与える。
徳島には、商品そのものに力があるにもかかわらず、メジャーになりきれない商品がたくさんあるように思えてならない。それは、商品力にプラス、見せ方、演出、売り方に問題があるからではないだろうか。要は「プロデュース力」である。

会社も商品も、成功させるためには、このプロデュース力がとても重要になってくる。そして、それこそが経営者の力量次第なのだ。

春雨さんにお願いしたテーマ曲も、数週間すれば完成品として仕上がってくるだろう。明日は、如月舎の藤本さんにお願いしてあるロゴ・デザインの第一案が上がってくる予定だ。
新会社のイメージを決定付けるいろんなものが、形になって現れ始めている。商品力も、ブランド力も、全国区で通用するレベルに、​必ず仕上げてみせる。

【第二創業日記・No.8】

2012年1月8日

移動スーパーで使用するオリジナル曲を、柳町春雨師匠にお願いしてたところ、「デモ曲ができたから聞きに来なさい」との電話があった。さっそく春雨さんが経営する「ココナッツ・スタジオ」へ。

春雨師匠には、「お年寄りにも馴染みやすく、子供でもすぐ覚えられて、軽快で楽しく、思わず笑みがこぼれてきそうで、それでありながらオリジナリティに溢れた曲に仕上げてくだされ。ついでだから、この事業が絶対に成功するという祈りを込めたヤツね。そうそ​う、いつものことですが、格安で」という、僕にしてはちょっと控えめなリクエストをしてあった。

作詞したのは、今度の新会社の出資者であり、役員であり、現あわわ社長の坂田千代子さんである。超ベタな歌詞に、春雨さんも苦しんだようす。坂田さんの著作権をまったく無視して、春雨さんと協​議の上、数箇所勝手に歌詞変更させてもらった(ま、文句ないだろう)。

師匠独特の軽快なリズムに、こちらの要望をしっかり取り入れてくれた、スンバらしい曲が出来上がっていた。
スタジオで受付をしてる女の子など、すでに曲を覚えてしまっていた。それほど馴染みやすく、覚えやすく、特徴ある仕上がりだ。僕も思わず、帰りの車の中で口ずさんでしまったほどだ。

歌詞の公開は、そう、1月11日の会社登記以降にしよう。

【第二創業日記・No.7】

2012年1月7日

そもそも「カタログハウスの斉藤さんに相談してみたら?」と言い出したのは、評論家の佐高信(さたか・まこと)さんである。
先々月だったか、「高松で講演するので、徳島近いだろうから来たら」と佐高さんから連絡があった。で、長らくお会いしてなかったので出かけていった。その時、楽屋で今回の事業プランを話した時​に、アドバイスを受けたのである。

佐高さんは、何を気に入ってくれたのか、僕の事をいろんな本に書いてくれている。

「抵抗人名録・私が選んだ77人」の中の、まさに77人の1人に取り上げてくれてるし、最近出した「現代日本を読み解く200冊​」の中の1冊にも「あわわのあはは」を選んでくれている。驚くのは「虚飾の経営者・稲盛和夫」の中の対談で、僕の話を(お知らせ​もなく)話題に出している(一部、アマゾンのなか見検索で読める​)。
僕は、稲盛和夫さんを塾長とする「盛和塾」メンバーでもある。「​虚飾の経営者」って、そこまで言っちゃっていいんでしょうか?って気もするけど、佐高さんの立ち位置も、僕は充分理解しているつもりなので、ま、そーゆーことである(どーゆーことなっ)。

ま、とにかく。
佐高さんに言われて「なるほど!」と瞬間的に感じた。「そーか、斉藤さんに相談するっていう考え方もあったか!」と気付かされたのだ。
僕自身、斉藤さんとは何度もお会いしているし、一緒に何度かお酒も飲んだ。もちろん佐高さんも斉藤ファンの1人だと思う。

日本ペンクラブの環境委員会、そしてカタログハウスの斉藤さんへの面会、ついでと言っちゃなんだけど、佐高さんのスケジュールさえ合えば、久しぶりに事務所にも遊びに行ってみようと思う。

【第二創業日記・No.6】

2012年1月6日

「移動スーパー」、である。意外かも知れないが、そーなのだ。

グローバリズム、ICT、デジタル、そんな言葉と正反対にある、​超ローカルで、超アナログで、そしてヒューマンなビジネスをやろうとしているのだ。

インターネットやiPhone等、いったいどこまで便利になるのか?と思うけど、便利になればなるほど、放ったらかされたり、忘れ去られたり、無視されたりするものがどんどん増えているような気がしてならない。いわゆる「買い物困難者」もそのひとつだ。
そもそものきっかけは、土成町に住む僕の両親だった。二人とも8​0歳を迎え、それでもまだお袋は車の運転をしている。そろそろ運転を止めさせないと、と思った瞬間、二人は買い物困難者になってしまうのだ。
お袋に、よくよく話を聞いてみると、周辺にも買い物に困っているお年寄りがたくさんいることが判明。土成町はまだコミュニティがしっかり形成されているから、皆さん何とかやていけてるようだが​、それでも結構深刻な状況になってきている。

半年ほど前から、先行事例としてお手本にさせていただいた、鳥取の安達さんの所に何度も足を運び教えを請い、勉強させていただき​、昨年11月には実際にトラックの助手席に乗って、2日間の販売体験もさせてもらった。
その他、各県で実際に稼働している移動スーパーに関する情報を収集し、事業の可能性について検討を重ねてきたのだ。

が、僕のビジネスプランは、日本では初のモデルである。他の事例は参考にはなるが、あくまで参考データであって、そのまま通用する資料にはなり得ない。
だからこそ、考え、悩み、苦しみ、のたうち回っているわけだ。
新しい仕組みを作りたい。持続可能なビジネスモデルに仕上げたい。そのためにどう工夫をし、どんな組み合わせを構築していくのか​?

さっき、「カタログハウス」の創業者・斉藤駿さんに面会のアポを​取った。僕が尊敬する数少ない創業者のひとりだ。ちょうど、「日​本ペンクラブ」の環境委員会に出席する予定もあったので(僕も環境委員の一人である)、その翌日に会っていただくことにした。
ペンクラブでは、「脱原発」についての会議があり、中村敦夫さんにも久しぶりにお会いできるのも楽しみだ。敦夫さんには、「25​年後の日本を知るため、チェルノブイリに一緒に行こう」と誘ってもらっている。これも、スケジュールさえ合えば、ぜひ参加したい​と考えている。

カタログハウスの斉藤さんにも、すでに事業プランの資料を送っており、電話ではお褒めの言葉をもらったが、果たしてどんな組み方ができるのか? その可能性を、しっかり話してこようと思ってい​る。

話はまったく変わるが・・・。
明日から、北島町にある、「悟空」ショウルームにある「ギャラリーなごみ」で、陶芸展が始まる。その作品の搬入に今から行ってく​る。もちろん僕の作品を展示するためだ。「矢野祐志と、その弟子達展」である。僕は、「できの悪い弟子」の一人なのである。

【第二創業日記・No.5】

2012年1月5日

午前中、会社登記の手続き書類にハンコ押し。いったい何箇所ハンコを押さないといけないのか、と思うほどの数。これぞ日本の事務手続き、である。

その後、とくしま産業振興機構の知り合いとランチ。資金調達に関してのアドバイスをいただく。おかげで「そっか!」と気付くところあり、その足で、某銀行の融資課へ直行。ビジネスプランを聞いていただいたが、とても褒めてもらった。が、これも予測の範囲である。
今まで何度となく、いろんな人達にプレゼンしてきたが、皆さん褒めてくれる。こちらの方が「ちょっと心配」になってくるくらいの反応ばかりだ。要は、これが机上論で終わるのか、現実世界で通用するプランなのか? 結局、「やってみるしかない」ところまで来てしまった。

午後、店舗開発でお手伝いしたクライアントから電話。「facebook見たけど、新しく会社するんですか?」という問合せ。事業内容を簡単に説明したが、果たして理解してもらったかどーか疑わしい。けど、今度直接会って、ちゃんと説明させてもらおう。

夕方から、提携先企業の社長、専務、店長と打ち合わせ。3時間以上に及ぶ充実した会議だったけど、最後は「やってみないと分からない」という結論に到達。

やっぱし、ね。

理念も、志も、プランも、とてもよく出来ている。でも、本当に世の中が反応してくれるのか? もはや、それに尽きるのだ。2月中旬には実車が仕上がってくるので、とにかく実証するのはそれから​だ。今は、下準備を滞りなく進めるのみである。

【第二創業日記・No.4】

2012年1月4日

1月11日の会社登記準備のため、資本金となるお金の準備。坂田さん200万円、僕800万円。合計1,000万円の資本金を、銀行口座に振り込む。

信頼している数人の経営者の方々から「住友君がやるなら資金出すよ」という、泣きそうになるような言葉をいただいた。が、しかし、ここは自力で何とかしたいと考えている(坂田さんについては例外だが)。

資本金1,000万円にもかかわらず、実は昨年末までに、すでに​600万円以上の発注を出してしまっている。会社登記費用、商標​登録費用、ロゴデザイン費用、テーマ曲制作費用、そして2月から​実証実験に使う特別仕様の軽トラック2台分の車両費用。
会社登記も終わってないのに、発注だけは先行している。何とこの会社、設立してすぐ、資金の半分以上が支払いに回ってしまうのだ​。

運転資金は大丈夫なのだろうか?

で、たぶん。
設立すぐに銀行から1,000万円の借り入れをしようと考えている。残った資本金の400万円弱と合わせて、約1,400万円が​これからの運転資金になるということだ。この資金が尽きるのが先か? 損益分岐点を超える仕組みまで辿り着くのが先か? これが勝負の分かれ目になる。

1年~2年で結果が出る。

ビジネスの世界は、とても厳しい。でも、だからこそ軌道に乗せた時の喜びも、また格別なものなのだ。

正直、怖い。とても、怖い。
にもかかわらず、ソレを上回る夢と希望が「その先」にあると信じて進むのだ。

【第二創業日記・No.3】

2012年1月3日

起業すると、「どこまで伸ばすのか?」ということが大きな問題に​なってくる。まだ会社登記も終わってないくせに、こんなことを考えるのはアホの所業かも知れないが、二度目の創業ともなると、つい考えてしまうのだ。

組織は、何らかの「目的」があって立ち上がる。なのに、いつの間にか当初の目的が見失われ、その組織の「存続」そのものが目的になってしまうのだ。そして「存続」するために「成長」を強いられる。なんともコッケイで、悲しい末路が待っているように思えてならな​い。

では、何故またも起業しようとしているのか?

今までの会社のイメージは、「成長」=「垂直方向」だけど、今回の組織は、「成長」ではなく「拡がり」=「水平方向」のイメージなのだ。
「それは、フランチャイズだ」言われるかもしれないが、フランチャイズとも、また違う。フランチャイズは、本部が利益を吸い上げるイメージが強い。そこに参加する人達を「生かさず殺さず」ギリギリまで追い込んで利益を持って行く。外から見ていると、どうしてもそんなふうに映ってしまう。

でも、僕がやりたいのは、そこに参加する人達で、「利益をシェア​する」ということだ。誰かが大儲けするのではなく、それぞれがそれぞれの役割分だけシェアをする。そんな仕組みが作れないか、ということだ。しかも、「ありがとう」と言われる仕事がしたい。
仕事に関わる時間は、とても長い。ならば、気持ちよく、心地よく仕事に関わりたいものである。もちろん「仕事」である以上、乗り越えなければならない大変なこともたくさんあるだろうが、結果、​人に喜ばれ、何らかの役に立てるような仕事ができれば、と考える​。

ストレスを溜め、自分をごまかし、毎日愚痴をこぼすような、そんな仕事ならやりたくない。当たり前だが、霞を食って生きていけるわけではないから、お金はとても大切だ。でも、無理して稼いだお金ではなく、喜ばれて「お布施」のように巡ってきたお金で暮らし​を支えたいと思うのだ。

共産主義が崩壊し、今や資本主義すら危うくなってきている。新しい時代には、新しい価値観と仕組みが必要になってくる。僕のビジネスプランが、その答えであるはずもないが、でも、何かのヒントになるかも知れない。

ま、現実は理屈ではない。現場は、とてもシビアで冷徹なものだ。正月が明けたら、とりあえず理念や理屈は心の隅においておいて、会社設立に向けて奔走しよう

【第二創業日記・No.2】

2012年1月2日

1月1日から、打ち合わせ。

石川県金沢市から来てくれた澁谷さんと、鳴門インター近くのルネッサンスリゾートにて。今夜、滋賀県で一泊してから金沢に帰るという。会うのは2度目だけれど、すでに古くからの友人のような親近感を覚える。
「あわわのあはは」も読んでくれてるし、佐高信さんの「抵抗人名録」も買ってくれたらしい。「あわわ」創業の前、出会った丁山さんや板東くん、西崎さん。みんな強力な協力者だった。

人は誰に出会って、誰と手を取り、何をしようとするのか、それがとても重要なことなのだ。そこでの判断が、その後の自分を作っていくのだ。
今回の新事業で、澁谷さんに出会えたことが、僕にとってとても大きな意味を持つことになるだろう。彼が「盛和塾」のメンバーとい​うことも、運命的なものを感じる。

そして、徳島での協力者となる、村上くん、村上くんの奥さん、そして坂田さんという信頼できるメンバーが、時に折れそうになる僕の気持ちを支えてくれる。
「あわわ」を始めた最初の年、確かちゃんと休んだのは1月1日だ​けだった。でも、今回は、1月1日すら打ち合わせをやっている。

「気合い」は十分だ。

【第二創業日記・No1】

2012年1月1日

去年(1日過ぎただけで「去年」なのかぁ)の始めからずーーーっ​と考え続けていた。半年ほど前からは「寝ても覚めても考え」続けていた。この数ヵ月は、うなされながら寝てた気がする。

でも、もう吹っ切れた。ぼくは「やる」のだ。そもそも「やってみなければ分からない」のである。これは「世間」と「僕」の「勝負」である。
僕が間違っているのか?外しているのか?大いなる勘違い野郎なの​か?それが問われるのである。

2012年1月11日、会社を創業する。

「あわわ」から数えると、二度目の本格的な「創業」だ。友達の会社に、チョコチョコ出資したり、役員になったりはしたけれど、今回は、自分自身がリスクを負って、本気で取り組むのだ。

どうなるかわからない。いや「どうにかする」のが僕の役目だ。「どうにかできる」と思って創業するのだ。「あわわ」をリタイアしてから、8年半の期間は、十分に充電期間になったし、そもそも長すぎたかもしれない。

こんな年明けを迎えるなんて予測もしてなかったが、
今年は、そんな年なのである。

note