とくし丸
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とくし丸創業日記とくし丸創業日記

No.2015-1-29

イロイロ、サットウ。

と、までは行かないが、ちょっと「そんな感じ」になってきている。ココ最近でも、地元メディア以外に、読売新聞(大阪)、日経新聞(東京/1月30日付けの日経MJ1面予定)。雑誌系では、ビッグトゥモロウ(発売中)、ビッグイッシュー(2月発売号?)、女性セブン(今週発売?)。TVでは、山陽放送、TV東京から取材依頼が入った。

 

数週間前には、農水省の公聴会に呼ばれ、イケンチンジュツ。その後、経産省からヒアリング。来週明けには、財務省のヤクニンが「お話をお伺いに」やってくる。そういえば、流通科学大と専修大のセンセーが視察に来たりもした。

 

食品メーカーからは、サンプリング調査依頼がゾクゾク続き、3月には食品メーカー約40社が集まる勉強会(東京)で講演をさせていただく予定。

 

が、とにかく。周りがどんなにヘンカしようが、基本を変えてはならない。常にジミチに、足下をしっかりと見つめ、少しずつ、とくし丸を前に進めて行く。

No.2015-1-27

「ありがとう」に囲まれて。

先週、牟岐町・美波町でスタートした柿原13号車の売上が、ゼッコーチョウなのである。で、拠点となるスーパー「オオキタ」の担当者・福山さんから、こんなメールをいただいた。

 

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とくし丸が通る道で、地面に座って待ってていただいたおばちゃん、10分後に訪問するのに車の後を走って追っかけてきたばあちゃん、耳が不自由(筆談)で、寝間まで迎えに行き手をつないで送り迎えをさせていただいた赤松のおばあちゃん。(涙がでました)
数えきれない程「ありがとう」の感謝の言葉をいただきました方々になにより感謝いたします。こんなに感謝されたのは生まれて初めての経験です・・・福山54才。始めて本当に良かったです。

 

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「始めて良かった」と思うのは、ボクの方です。本当に、アリガタイ。明日から、またガンバレル。

No.2015-1-19

県内13号車、開業。

牟岐町と美波町で、県内13台目となる「とくし丸」が本日開業。パチパチパチ。

 

販売パートナーとして活躍してくれるのは、東京からUターンして帰ってきてくれた柿原さん、58歳。つい最近まで、日本橋にある事務所で、店舗設計のオシゴトをされていた方だ。

 

スーパー「オオキタ」の牟岐店で、朝から「出発式」。牟岐町長の福井さんも出席してもらい、みんなでテープカットを行って、いざ、シュッパツ。

 

なんと、初日にも関わらず、今日の売上、86,755円という、キョーイ的な数字であった。それだけ「待っててくれる」お客さんが多かったということだろう。いや、本当に「始めて良かった」。

 

正直、当初は人口が少ないので、果たして事業として成立するのか、とても不安だった。が、やはり「やってみなければ分からない」。

 

もちろん、まだ始まったばかりだから、まだまだコレからが本番ではあるのだけれど、間違いなく、地元の皆さんに喜んでいただける「とくし丸」になるはずだ。

 

1台毎、慎重に、丁寧に、そして自信と勇気を持って、進めて行こう。

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No.2015-1-15

手編みの、帽子。

とくし丸に関わっていると、とてもホホエマしい話に出逢う。コレが「仕事を通して」出てくるのだから、本当に「アリガタイオシゴト」だと、つくづく感じる。

 

今回紹介するのは、阿南方面を走っている、10号車の森さんからの報告。

 

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お客さんから手編の帽子をプレゼントされました(^_^)
寒いけん、しっかりかぶっときよ!と、言われ感動したので一緒に記念撮影しました(^^;;

 

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いや、もう、ほんとに、アリガトウ、である。今時、誰が「手編み」してくれますか? どんなブランド品よりも素敵な帽子である。そして、写真に収まった2人の「いい感じ」の表情。

 

今日も、雨、風、ともに強く、現場は大変な状況だったけど、販売パートナーの皆さんは、こんな場面に出会えることを知っているから、頑張れるのだ。

 

彼らのためにも、明日も、歩こう。

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No.2015-1-13

連続美、或は、曲線美。

昨日、今日と、岡山の「天満屋ストア」へ。「とくし丸」の出発式に立ち会うため。地元TV局4社、新聞社1社が取材に来てくれて、今日の夕方のTVニュースで、さっそく流されていたようだ。アリガタイ。

 

で、話は少々変わるけど……。瀬戸大橋を渡るたびに目を奪われるのが、両サイドに並ぶ街灯が創り出す「曲線美」。ちょうどライト部分を覆うシェードが、ひとつの「点」になって、それが実に美しく連続する。
たぶん、街灯と街灯の間隔が、他よりも圧倒的に短いために起こる現象なのだと思うけど。

 

ひとつだけがぽつんと立っているだけなら、何とも思わないだろうに。それがコレだけ続けて並ぶと、ただただオミゴト。

 

そこで、思う。

 

とくし丸も、コレに共通するものを感じる。ひとつずつは小さなビジネスだけれど、それが数十、数百、数千と集まると、きっとミゴトな美しさを形成するはずだ。ただし、ソレはあくまで有機的に繋がり合って、はじめて「美」となりえる。

 

1社ずつ、1台ずつ、丁寧に開業させていこう。美しい「とくし丸」となるために。

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No.2015-1-10

3年前の、1月3日。

3年前のショーガツに、こんなことを考えていたのかと、3年前の自分を少しほめてやりたい気持ちになった。

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【第二創業日記・No.3】
2012年1月3日

 

起業すると、「どこまで伸ばすのか?」ということが大きな問題になってくる。まだ会社登記も終わってないくせに、こんなことを考えるのはアホの所業かも知れないが、二度目の創業ともなると、つい考えてしまうのだ。

組織は、何らかの「目的」があって立ち上がる。なのに、いつの間にか当初の目的が見失われ、その組織の「存続」そのものが目的になってしまうのだ。そして「存続」するために「成長」を強いられる。なんともコッケイで、悲しい末路が待っているように思えてならない。

 

では、何故またも起業しようとしているのか?
今までの会社のイメージは、「成長」=「垂直方向」だけど、今回の組織は、「成長」ではなく「拡がり」=「水平方向」のイメージなのだ。
「それは、フランチャイズだ」言われるかもしれないが、フランチャイズとも、また違う。フランチャイズは、本部が利益を吸い上げるイメージが強い。そこに参加する人達を「生かさず殺さず」ギリギリまで追い込んで利益を持って行く。外から見ていると、どうしてもそんなふうに映ってしまう。

 

でも、僕がやりたいのは、そこに参加する人達で、「利益をシェアする」ということだ。誰かが大儲けするのではなく、それぞれがそれぞれの役割分だけシェアをする。そんな仕組みが作れないか、ということだ。しかも、「ありがとう」と言われる仕事がしたい。
仕事に関わる時間は、とても長い。ならば、気持ちよく、心地よく仕事に関わりたいものである。もちろん「仕事」である以上、乗り越えなければならない大変なこともたくさんあるだろうが、結果、人に喜ばれ、何らかの役に立てるような仕事ができれば、と考える。

 

ストレスを溜め、自分をごまかし、毎日愚痴をこぼすような、そんな仕事ならやりたくない。当たり前だが、霞を食って生きていけるわけではないから、お金はとても大切だ。でも、無理して稼いだお金ではなく、喜ばれて「お布施」のように巡ってきたお金で暮らしを支えたいと思うのだ。

 

共産主義が崩壊し、今や資本主義すら危うくなってきている。新しい時代には、新しい価値観と仕組みが必要になってくる。僕のビジネスプランが、その答えであるはずもないが、でも、何かのヒントになるかも知れない。
ま、現実は理屈ではない。現場は、とてもシビアで冷徹なものだ。正月が明けたら、とりあえず理念や理屈は心の隅においておいて、会社設立に向けて奔走しよう

No.2015-1-4

3年前の1月1日。

第二創業日記・No1を書き記したのは、3年前の1月1日のことだった。今、改めて読み返してみると、この3年間のなんと早かったことか。まだまだコレからではあるけれど、ありふれたヒョーゲンではあるけれど、ここは今一度「ショシンワスルベカラズ」なのである。

 

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【第二創業日記・No1】
去年(1日過ぎただけで「去年」なのかぁ)の始めからずーーーっと考え続けていた。半年ほど前からは「寝ても覚めても考え」続けていた。この数ヵ月は、うなされながら寝てた気がする。

 

でも、もう吹っ切れた。ぼくは「やる」のだ。そもそも「やってみなければ分からない」のである。これは「世間」と「僕」の「勝負」である。僕が間違っているのか?外しているのか?大いなる勘違い野郎なのか?それが問われるのである。

 

2012年1月11日、会社を創業する。「あわわ」から数えると、二度目の本格的な「創業」だ。友達の会社に、チョコチョコ出資したり、役員になったりはしたけれど、今回は、自分自身がリスクを負って、本気で取り組むのだ。

 

どうなるかわからない。いや「どうにかする」のが僕の役目だ。「どうにかできる」と思って創業するのだ。「あわわ」をリタイアしてから、8年半の期間は、十分に充電期間になったし、そもそも長すぎたかもしれない。

 

こんな年明けを迎えるなんて予測もしてなかったが、今年は、そんな年なのである。

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