とくし丸
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とくし丸創業日記とくし丸創業日記

No.2015-3-29

泣きそーになる話。

3月に開業したばかりの、15号車の森幸平くん(24歳)から写真付きのメールが届いた。

 

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わざわざ僕の為に作ってくれたみたいです(≧∀≦)
ちょっと泣きそうでした(笑)
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開業1ヶ月にもならないのに、お客さんのおばーちゃんから、手作りのキーホルダーをプレゼントされたらしい。幸平くんは、もうすっかり地域に受け入れられてるみたいである。

 

そーいえば、10号車担当のオトーさんも、数ヶ月前におばあちゃんから手編みの帽子をもらっていたっけ。何か、親子でメチャメチャお客さんに可愛がられているではないか。ほんと〜に、アリガタイ。

 

セチガライ世の中で、この仕事ができることに、心から感謝したい。こんなナミダなら、いくらでも流してやる。

 

とくし丸は、コレからさらに、加速度を持って広がっていく。

写真

No.2015-3-25

グーゼンにも、ホドがある。

本当に「不思議」としか思えない、グーゼンのデキゴトが起こるものである。久しぶりに、たぶん10年以上ぶりに「タウン情報まつやま」に電話を入れた。用件は、4月に「とくし丸」を開業する今治市の「波止浜スーパー」を、記事に取り上げて欲しいとのお願いだ。

 

すごく控えめに「実は、昔、タウン誌あわわをやってたモノですが……」的、テーシセーで電話を入れたのだが、電話に出てくれた岡田シャチョーは、「住友さんでしょ、分かってますよ〜」的、フレンドリーな対応をしてくれた。アリガタイ。

 

で、その電話の後、これまたヘタすると20年以上ぶりくらいに、その「タウン情報まつやま」の元社員だった、大森さんから電話がかかってきたのである。ただただ、オドロキ。

 

「なんか懐かしくなって、タウン誌やってた当時のメンバーで飲み会をやろうと思って」とゆーではないか。いや、だから、ボクは今日、ほんと〜に久しぶりに「タウン情報まつやま」に、ユーキを持って電話を入れたトコなんですけど……。

 

グーゼンとはいえ、なんか、スゴスギ。今治市の「波止浜スーパー」に続き、松山市でもスーパー「セブンスター」の「とくし丸」導入が決まっている。コレは、きっとラッキーが待ち構えているに違いない。

 

この春以降、ボクはいったいどれだけ愛媛県に足を運ぶ事になるだろう。いろいろ、楽しみ。

No.2015-3-23

えのきどさんと吉川くんと、結城さん。

先週木曜日、19日。「流通経済研究所」主催のセミナーで講演。ユーメーメーカーが数十社集まるこの会で、とくし丸の話をさせていただく。
ボクは、とくし丸を単なる「移動スーパー」だけに終わらせるつもりはない。ちょっと「オオゲサ」かも知れないが、あらゆる「窓口」機能を持つ、インフラに育てたいと思っているのだ。

 

その「ひとつ」が、マーケティング・リサーチ。若い人に対するマーケティング手法はいろいろあるが、お年寄り相手にはなかなかチャンネルが存在しない。ネット、電話、街頭インタビュー、訪問アンケート……、どれもひとつ間違えば「アヤシイ」雰囲気を醸し出す。

 

が、コレをとくし丸が請け負うと、難なくこなせる。しかもその中身は、各メーカーが喉から手が出るほど欲しい「ホンネ」の声なのだ。もちろんソコには「80歳前後のおばーちゃんのホンネ」という注釈がつくのだけれど。が、コレもまた、今後明らかに魅力ある市場として捉えられている層なのだ。

 

例えば、食品メーカーの「サンプリング調査」。実は、すでに何度も実績を積み上げてきている。大塚製薬、ネスレ、AGF、そして来月は、キューピー。食品のサンプリング調査は、とくし丸には「モッテコイ」の仕事なのだ。

 

翌20日、金曜日は「商人舎」の代表・結城義晴さんにお会いして、インタビューを受ける。価値観が合うのか、波長が合うのか、気がつけば2時間以上も話し込んでいた。

 

前夜、久しぶりに会った、コラムニストのえのきどいちろうさんと(どこまでが名前か分かりにくい)、カメラマンの吉川くんの3人で、けっこう酔っぱらってしまっていたのだけれど、結城さんとの「ご縁」も大切にしよう。

写真

No.2015-3-15

拝啓、佐高信さま

お久しぶりです。長らく連絡も取っていませんが、佐高さんの著書「抵抗人名録」に、ボクごとき人間が取り上げられていることに、最近、何となく納得している次第です。

 

ここのところ、経産省、財務省、農水省、トヨタ、日産、名だたる組織の人達が「とくし丸」に接触してきていますが、彼らに対すて、ボクはとんでもない、世間的に考えると「失礼な発言」を繰り返してきています。

 

やはりボクは、権力とか肩書きが、ダイキライ、です。

 

どんなにユーメーになろうが、どれだけ経済力を持とうが、ソレが本当に「シアワセ」につながるのかということを、真剣に考えるようになっています。

 

人が「生きる」ということは、全く違う「尺度」ではないかと、ジワジワと感じてます。人のシアワセは、最終的には「人間関係」に尽きるのでhないか。その想いで溢れています。

 

セケン的には、決してユーメーでなかったとしても、権力を持たなくても、心から尊敬できる方々がたくさん存在します。ボクなど足下にも及ばない、スバラシイ方々です。

 

今日、久しぶりに「とくし丸」のメンバーとシコタマ飲みました。彼らは、とても魅力的であり、「タマシイ」を持った連中です。彼らと一緒に仕事ができることが、シンソコ「ウレシイ」のです。

 

そーゆーことにボクは、人として「シアワセ」を感じます。この仕事を始めたことは、「間違いでなかった」という「確信」を得られました。

 

これからどうやって「とくし丸」を進めていけばいいのか、ぜひ相談にのってください。ほんの少し間違うだけで、あらぬ方向に向かわないためにも、佐高さんのアドバイスが、とても重要になってきます。

 

煩わしかろうが、めんどくさがろうが、ずーずーしく、相談に行きますから、見捨てないでください。佐高さんには、同じ「匂い」を感じていますから。

 

今日、とくし丸のメンバーと一緒に飲んで、ソコのトコは外してはいけないと、心底感じています。

No.2015-3-10

明日を前に。

福島の事故から約1年後、2012年4月16日〜23日、8日間かけてウクライナへ。そして、チェルノブイリの原発事故現場へ。もう3年前になる。

 

とくし丸を創業してから数ヶ月後の、とても慌ただしい時期だったけれど、今から思えば、やはり無理してでも行っていてよかった。

 

3年前のFBには「第二創業日記」と共に、「チェルノブイリ報告記」を書き込んでいる。その中のひとつを、ココに再掲載しておこう。

 

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【チェルノブイリ報告記・9】

 

写真は、立入禁止区域内・チェルノブイリの公園にあるモニュメント。140以上の町や村の名前が並んでいる。斜めの赤い線は、この町や村が「消滅」したことを表している。驚くべき数である。

 

それぞれの町や村に、それぞれ暮らしていた人々がいて、そしてそこを追われたのである。しかも、身体的、精神的大きなダメージを受けて。

 

Googlmapを拡大してみると、地図から完全に消えている。福島は、東北は、これからどうなっていくのだろう。そして、僕たちに何ができるのだろう。

 

とにかく、まずは、何が何でも、再稼動を阻止し、完全廃止に向かうよう声を上げていくことから始めようと思う。節電もしよう。例え停電になっても文句は言うまい。第二の福島を「絶対に」作ってはいけない。

写真

No.2015-3-8

立てた、ジグソーパズル。

イメージの話、である。立てたジグソーパズルを、下からひとつずつ、あーでもない、こーでもないと、悩み、苦しみ、のたうち回りながら、積み上げて行く。
出来上がってみると「な〜んだ、こんなものか」と思うのだけれど、それはあくまで仕上がってから言える事。

 

とくし丸の事業は、決して特別なコトをやってる訳ではないけれど、まさに「立てたジグソーパズル」のように、ひとつずつのピースを、時間と労力と、手間ひまかけて積み上げてきたものだ。

 

だから、誰かが見よう見まねで後追いして来たとしても、そうヤスヤスとココまで辿り着く事はできないはずだ。たとえモノマネをされたとしても、ひとつのピースが噛み合ない事で、そのカタチはガタガタと崩れさってしまうことになる。

 

もちろんまだ、今のとくし丸は「完成」には至っていない。でも、何となくその全貌は見えつつある。山登りに例えるなら、まだまだ3合目辺り。これからが、まさに「本番」だ。

 

これからもひとつずつの小さなピースを、丁寧に、慎重に、積み重ねていこう。先に進むためには、ソレしか方法はないのだから。

No.2015-3-2

軽トラの上にも3年。

ココのところ、あまりにもバタバタしてて忘れていたけど、3年前の2月20日、徳島で初めて「とくし丸」が走り出したのであった。そう、気付いたら、営業開始からちょうど丸3年が経ったわけだ。

 

先人は「石の上にも3年」と仰ったが、ほんと〜にそーだな〜、とツクヅク感じる。まさに3年、よくぞ途中で投げ出さず、ココまで辿り着いたものである。ショージキ最初の1年は、「もはや、コレまで」と幾度となく考えた。

 

が、今日。徳島で15台目となる森jr号が、めでたく開業と相成った。スバラシイ。担当エリアは、阿南市の、桑野、新野、福井、である。
彼は、10号車を担当する森さんの息子さんだ。お父さんから一部お客さんを引き継いだとはいえ、初日の売上は、なんと7万円オーバー。3年前には、考えられなかった数字である。

 

もう3年。やっと3年。まだ3年。早くも3年。いろんな想いをナイマゼにしながら、次のステージを目指して行こう。

写真
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