とくし丸
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No.2019-3-25

岡留安則さんとのお別れ。

僕がもっとも発売を楽しみにしていた雑誌が「噂の眞相」だった。その過激さも、イカガワシサも、大好きだった。反権力、反権威のポーズをとりつつ、一方でキワドイネタも掲載してしまう。まさに「ノーテンキなスキャンダル雑誌」だった。

 

その創刊は、1979年3月(僕があわわを創刊したのは、1981年3月)。そして、2004年4月号で休刊(あわわを辞めたのが、2003年6月)。僕は、岡留さんから2年遅れで雑誌を始め、1年早く雑誌から離れたことになる。

恐れ多いが、岡留さんと僕は、ほぼ同時代に雑誌編集・出版社経営をやってたことになる。

 

数年前、岡留さんの携帯番号を佐高信さんに教えてもらい、沖縄のバーまで会いに行ったことがある。思わずミーハーになってしまった僕は、酔っ払った勢いで、岡留さんとの2ショット写真を撮ってもらったほどだ。

 

今こそ「ウワシン」があってくれればと、強く思う。沖縄も、福島も、「ウワシン」なら歯に衣着せぬ鋭い誌面をガンガン作ってくれていただろう。そしてソレは為政者に、少なからず影響を与えていたのではないだろうか。

 

って、今さらそんなことを言っても始まらない。今、ここに生きる誰かが、その役を果たさなければいけないのだから。

 

今週末、東京で「噂の真相・岡留安則を賑やかに送る会」が催される。せめて、賑やかに送る1人になってこようと思う。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%99%82%E3%81%AE%E7%9C%9E%E7%9B%B8

No.2019-3-16

福島第1原発・事故現場。

1月15日、もう2ヶ月も前になるけれど、福島第1原発事故現場に行ってきた。日本ペンクラブのメンバーと共に。ボクが定期購読している「はんげんぱつ新聞」から、原稿依頼があったので、その時の話を掲載してもらった。

 

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謝罪はするが、反省はしない。

 

1月15日、日本ペンクラブのメンバー17名と一緒に、東京新宿から日帰りバスで福島第一原発事故現場を見に行った。まずは双葉郡富岡町にある「東京電力廃炉資料館」に入り、様々な資料の見学と東電社員からの現状説明を受ける。まず開口一番、担当社員が口にしたのは「お詫び」だった。その後、資料館に作られた展示を見ても、あちこちに「お詫び」が差し込まれている。

 

真面目に、一生懸命対応している東電社員には申し訳ないが、「危機管理のプロとかのコンサルが、指導してるんだろうな」と、つい斜めに見てしまう。正直、出鼻を挫かれた感が否めない。人は、詫びる人に追い打ちをかけてヤラシクできかねる。
そして、ほぼ質問時間を取らさぬ状態で10kmほど離れた事故現場へ。各自のカメラ、携帯電話の持ち込みは一切禁止(1台のカメラのみ許可)。同行する東電社員の説明を懸命にメモするのが精一杯の状態だった。

 

驚くべきは、建屋が崩壊したままの3号機横を通過した時、バスの中の線量計が400マイクロシーベルトを示したこと。7年前にチェルノブイリ原発事故現場を訪れた時、そこでの数値は6マイクロシーベルトだった。それでもコンクリートと鉛で固めた、いわゆる「石棺」を、さらに鋼鉄製のドームで囲う作業にかかっていた(現在、完成している)。6μsv/hと400μsv/h、この差をいったいどう受け止めればいいのだろう。まさに「ケタ違い」なのである。

 

最後にほんの数十分、質問時間があったので聞いてみた。1年間の維持費にいくらかかるのか? なんと2,000億円だそうである。1円も売上を上げない施設に、しかも向こう30〜40年以上はかかる(これもあくまで見込み)であろうという廃炉作業に、延々費用が注ぎ込まれるという。

 

にもかかわらず、「原発の再稼働を目指している」とおっしゃる。その最大の理由は、「廃炉作業に巨費がかかるから」。
もはやブラックジョークにもならない。訪問後の率直な印象は、「東電は、謝罪はするが、反省はしない」だった。我々は、せめて第二の事故を起こさせないために、「はんげんぱつ」を訴え続けなければならないし、必ずそうさせる責任がある。

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