No.2019-1-8
月刊道路、掲載拒否ゲラを公開。
12月21日、「一般社団法人・日本橋梁建設協会」の、副会長・専務理事である、吉崎収さんという方が、東京からわざわざ僕の住む徳島の事務所に来た。
数ヶ月前、公益社団法人日本道路協会発行の月刊誌『道路』に掲載する原稿依頼があり、添付のような記事を提出した。ちなみに、来社された吉崎さんは編集委員長だそうである。
https://www.road.or.jp/
が、後半最後のブロックが、「政治的内容となり、掲載できないので、変更してほしい」旨、話があった。
僕としては、非常に「抑え気味」に書いたつもりだし、変更を求められるような内容とは思えないため「訂正するつもりはないので、掲載をするかどうかはそちらで判断してほしい」と伝えた。
結果、「掲載できない」という。
で、下記2点を伝えた。
1 原稿料の受け取りを拒否する(ちなみに4万円)。
2 せっかく書いた原稿をなので、今回の経緯も含め、どこか別媒体で公表する。
このまま放置するには納得行かないし、そもそも「月刊道路」という雑誌が存在すること自体、一般の方々に知らせたい。また、まさに「忖度」するその編集姿勢を世の中に公表したいと思うのだ。
ゲラまで進んでボツにされたPDFが、コレだ。また、原稿もそのまま掲載しておく。
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ヘリコプター人間。
もう数十年も前になるが、ある経営コンサルタントの研修で、「ヘリコプター人間になれ」と教えたれたことがある。小さいながらも会社を経営していくなら、目の前の、目先の道だけを見ていてはいけない。時にはヘリコプターのように空に上がって、全体を俯瞰した視点を忘れるな、ということだった。地上を歩いていると、倒木や水溜り、もしかしたら落し穴なんかがあるかも知れない。なので、日々それらに注意しながら前に進もうとするのだけれど、さて、分かれ道に遭遇したらどうするか? その時は、やはり上空から見てみることも必要だ。地上からでは決して見ることのできない景色が、その先に広がっている。目指すべき先はどこなのか? どの道を選択することがより正しいのか? 今でも覚えているくらいだから、その時は「なるほど!」と、とても納得したものだ。
2011年の翌年、2012年4月、ウクライナの首都・キエフからチェルノブイリ原発事故現場を目指して、延々と続く1本道を車で走った。日本ペンクラブのメンバー8人と「26年後の福島を見るために」という趣旨で企画したツアーだった。
日本で起こった未曾有の原発事故は、収束する気配も見えず(今現在もなお)、何にどう対応していいのかさえ分からないままだった。そのためのチェルノブイリ視察だった。現場に入らなければ見えない情報が、たくさん得られた。衝撃的な話をいっぱい聞いた。情報社会と言いながらも、まったく現実を知らなかった自分のアホさ加減にガクゼンとした。
選択できる道は、常にたくさんある。だが、選べる道は一つしかない。我々はどこを目指して進もうとしているのか?
全体を、上から俯瞰して見ることは、もちろん大切だ。そして、現場がどんな状況にあるかを知ることも、同じように重要だ。両方の視点を持って道を選ばなければ、とんでもない所に向かうことになりはしないか。
責任ある立場にいる人は、ヘリコプターのように上空から全体を見なければならない。だからと言って、「ソレだけ」では決していけない。現場の声に耳を傾け、その苦労や苦痛と一体になって、どの道を選ぶか判断するべきだ。
ともすればヘリコプターの上から見ることしか知らない為政者のせいで、現場の人間が悲惨な目に遭うことが多々ある。悲しいことに、歴史はそれを繰り返している。
会社を運営していると、常に揺れ動く。売上や利益は大切だ。そもそも赤字続きでは組織そのものが行き詰まってしまう。だからと言って、儲けだけのために組織があるわけではない。そこに関わる人たちが「いてこそ」の組織である。そこにいる人たちが「いて良かった」と感じてもらわなければ会社を立ち上げた意味がない。
2012年に、買い物難民を対象とする移動スーパー「とくし丸」を創業した。チェルノブイリを訪問する直前だった。それから約7年。周辺からは「社会貢献型事業」とか言っていただくこともあるが、もちろんこれはビジネスだ。今後、日本の人口が減少し、様々な市場がシュリンクして行く中、我々が対象とする人口は向こう10年以上、団塊の世代が80歳以上を迎えるその時まで増え続ける。その買い物難民問題に対して、どう対処して行くのか、どこも回答を提示できないままだったから「とくし丸」を立ち上げた。
世の中にはびこるフランチャイズのように、東京にお金を吸い上げていくシステム(少なくとも僕にはそう見える)ではなく、地域の中で人もお金も循環する仕組みを作りたかった。地方の時代だ、地方創生だと話には出るが、いつまで経っても東京ばかりに人もお金も集中し、地方は疲弊する一方だ。なので、レオ・レオニが描いた「スイミー・小さなかしこいさかなのはなし」のように、地域のスーパーマーケットが有機的に繋がることで、大資本や覇権主義的な企業に対抗できる仕組みを目指そうと考えた。決して勝つことはできなくても、せめて負けない、生き残るための方法だ。
あらゆる組織は、そこに関係する人たちのためにその進むべき道を決める、はずだ。その道を決めるのは、最終的に責任者になる。そして、責任者にとって最も重要なことは、現場をしっかりと確認し、その意思を反映することだ。が、果たしてそうなっているだろうか?
残念ながら、原発事故、沖縄の辺野古基地問題などを考えると、どうしても今の為政者は、お空の上からだけしか物事を見ていないのではないかと思わざるを得ない。数年に一度の選挙だけで、全権委任をしているわけではない。重要案件は、個別に住民投票・国民投票で「進む道」を決定する制度が必要ではないか。まずは、憲法9条改正の前に、原発再稼働、辺野古基地移転を主題として、国民投票を行うべきではないか。主役はあくまで、住民・市民・国民であるのだから。